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2030―2040年 医療の真実 下町病院長だから見える医療の末路

  • 執筆者の写真: 林田医療裁判
    林田医療裁判
  • 15 分前
  • 読了時間: 3分

制度が意思決定を歪めるとき──『医療の真実』と林田医療裁判の交差点

熊谷賴佳『2030―2040年 医療の真実 下町病院長だから見える医療の末路』(中公新書ラクレ、2025年)は地域医療の現場から見た制度の歪みを鋭く告発する書籍です。その問題提起は、林田医療裁判が浮き彫りにしたその選択は本当に患者の意思に基づいているのか」という問いと深く響き合います。


『医療の真実』は、診療報酬制度の誘導によって「早期退院」「在宅看取り」「介護施設への移送」が推奨される現状を批判します。とりわけ次の一節は、制度が患者の生死にすら影響を与える構造的暴力を示唆しています。

「医療費を削減するためにも入院ベッドを減らし、中小病院が潰れてその地域の医療が崩壊しても構わない。高額の診療報酬で誘導する形で在宅看取りを推奨し、自宅で暮らせないなら医療が必要な場合でも介護施設へ送り、それで早く亡くなったとしても寿命だと納得させている」(198頁)

このような制度設計のもとでは、患者本人の意思や希望はしばしば置き去りにされ、「制度に適合する死」が静かに強制されることになります。


林田医療裁判もまた、患者の意思が不明確なまま、キーパーソンとされた特定の家族(長男)の判断によって延命措置が拒否され、患者が死亡した事例でした。林田医療裁判を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」では以下の指摘がなされました。


「この長男の発言とか意見というのは、よく読み返してみるとかなり過激ですよね。そのようなことを言うかという感じですが、それに対して医療側は多分抵抗した可能性もありますが、何となくそれをやってしまったという状況です」(判例タイムズ1475号15頁)。


医療側は「何となくそれをやってしまった」とされますが、そこに「制度的な圧力」が介在していた可能性は否定できません。医療機関側が「延命治療の継続は非効率である」という制度的・経済的プレッシャーを受けていたかもしれません。患者の命が制度の都合で静かに処理されていく倫理的空白が生じます。


自己決定権の空洞化──制度と倫理の断絶

「自己決定権は、一身専属性の権利であるから、厳格に解釈すれば、家族であっても本人に代わって行使できるものではない」とされます(小林真紀「家族間における延命措置の葛藤」甲斐克則、手嶋豊編『医事法判例百選 第3版』有斐閣、2022年、201頁)。ところが、林田医療裁判では特定家族の判断が治療方針を左右しました。


『医療の真実』の描く医療現場でも、制度的誘導によって患者の選択肢が狭められ、「選んだように見えて、選ばされている」状況が常態化しています。つまり、両者に共通するのは「自己決定権の空洞化」です。形式的には同意が取られていても、情報が不十分であったり、制度的な誘導が強すぎたりすれば、それは真の意味での自己決定とは言えません。


いま、医療者に求められる視点

『医療の真実』と林田医療裁判は、異なる文脈から同じ問いを私たちに投げかけています。

- 医療の選択は本当に患者の意思に基づいているのか?

- 制度がその意思を歪めていないか?

- 医療者は制度の執行者である前に、患者の代弁者であるべきではないか?

この問いに向き合うことこそが、医療の倫理を再構築する第一歩です。『医療の真実』の警鐘と林田医療裁判の教訓は、制度と倫理のあいだで揺れる現代医療において、私たちが見落としてはならない「人間の声」を取り戻すための羅針盤となるでしょう。


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