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執筆者の写真林田医療裁判

城アラキ『妻への十悔』

こんにちは、皆さん。今日は、最近読んだ一冊の本についてお話ししたいと思います。城アラキさんの『妻への十悔』(ブックマン社、2024年)というノンフィクションです。この本では「人生会議」への批判が印象に残りました。人生会議という言葉、最近よく耳にしますが、皆さんはどうお感じですか?


人生会議とは、もしもの時に備えて、自分が望む医療やケアについて家族や医療チームと話し合うことを推奨するもので、厚生労働省が「ACP(Advance Care Planning)」の愛称として付けました。城さんはこの「人生会議」という言葉に潜む問題を鋭く指摘しています。


彼は本の中で「『延命措置などいらない』と最初は宣言し、家族も納得していても「いざという時」には翻意するかもしれないではないか」と書いています(194頁)。体の具合や気持ち次第で「今は延命してほしい」と思うこともあるかもしれません。最初に「延命は不要」と言ったからといって、それがずっと変わらないかのように扱われてしまうのは怖いですよね。


城さんはこうも言っています。「会議で決めたんだからこのまま死ね、なんて言えるのか」と(194頁)。家族で一度話し合って納得したとしても、実際の場面ではお互いの気持ちが揺れることもありますし、それは自然なことと思います。体調や気分は日々変わりますから、「病人の気持ちは変わる」という城さんの言葉はとても共感できます。健康や体の調子は本当に毎日変わるものですよね。


「人生会議」という言葉自体に問題があります。会議というと、一度みんなで集まって話し合って、そこで決めたことが最終的な結論という印象を受けます。しかし、医療やケアは、一度の話し合いで決められるものではありません。厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」も「繰り返し意思確認をすること」が強調されています。「会議」という言葉が、かえって一回限りの話し合いを目的化してしまっているように感じます。


大切なのは、「話し合ったから終わり」ではなく、その後も医療チームは繰り返し気持ちを確認し続けることです。そうでないと、人生会議がただのアリバイ作り、形式的なものに陥ってしまいかねませんよね。



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