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ハンセン病に対する偏見によるえん罪 菊池事件

  • 執筆者の写真: 林田医療裁判
    林田医療裁判
  • 13 時間前
  • 読了時間: 7分

德田靖之弁護士人生を語る実行委員会は、徳田靖之弁護士活動56周年記念連続講演会第7回「飯塚事件・菊池事件」を2025年5月25日(日)に大分県大分市金池南一丁目のホルトホール大分の大会議室とZoomで開催した。林田医療裁判を考える会からも参加した。飯塚事件も菊池事件も共に死刑が執行された再審請求事件である。


菊池事件は二つの事件がある。

第一事件:1951年8月に熊本県内の山村で発生した殺人未遂。

第二事件:1953年7月6日に発生した殺人事件。

ハンセン病患者と報告され、熊本県の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」に入れられた男性が、村役場でハンセン病患者の現況調査をし、熊本県に報告した元職員を殺害したとされた。無らい県運動が最も激しかった時期である。

男性は一貫して無実を訴えたが、第1次事件で懲役10年、第2次事件で死刑とされた。再審請求をしましたが、3回目の請求が棄却された翌日に死刑が執行された。


菊池事件はハンセン病への偏見を背景にした冤罪である。日本は、1907年から、ハンセン病の患者を終生隔離する政策を続けた。「らい予防法」が廃止されたのは、1996年である。


隔離政策の中で患者労働の強制、優生手術の強制、無らい県運動の展開という世界に例がない施策が行われた。ナチスドイツの蛮行は歴史に記録されている。同じ時代に日本も同じことをしていた。しかし、十分に知らされず、国際的にも非難されないままになっている。


1998年、「らい予防法」違憲国賠訴訟提起

2001年、熊本地裁判決

2016年、家族訴訟提起

2019年、熊本地裁判決


ハンセン病問題を考える際に大切にすべきことは、当時の状況を踏まえて、私はどのように考え、行動しただろうかという視点で考えること。これから私はどのように生きていくべきかという視点で考えること。


菊池事件の再審事件としての特異性

ハンセン病隔離政策下における「特別法廷」で審理された。逮捕、取調、審理、死刑の執行のすべてにおいてハンセン病に対する偏見・差別が反映されている。ハンセン病隔離政策への司法の加担責任が問われる。

死刑が執行されてしまった事件の再審請求である。死刑制度の根幹にかかわる。


「特別法廷」の違憲性と菊池事件

ハンセン病患者は裁判所の門をくぐることが許されなかった。最高裁判所は、ハンセン病患者の刑事事件については、裁判所法69条2項を根拠として、裁判所外のハンセン病療養所や医療刑務所で公判を開廷させた。

***

第六十九条(開廷の場所) 法廷は、裁判所又は支部でこれを開く。

② 最高裁判所は、必要と認めるときは、前項の規定にかかわらず、他の場所で法廷を開き、又はその指定する他の場所で下級裁判所に法廷を開かせることができる。

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日本国憲法第37条「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」が適用されなかった。


最高裁判所による調査報告の意義とその限界

最高裁判所は、2016年4月に「特別法廷」についての調査報告書を公表し、「遅くとも昭和35年以降、裁判所法69条2項に違反するものであった」ことを認め、このような誤った運用が、ハンセン病患者に対する偏見・差別を助長することにつながるものになったこと及び「当事者であるハンセン病患者の人格と尊厳を傷つけるものであったことを深く反省し、お詫びすること」を明かにした。


調査報告の意義

最高裁判所が、自らの司法行政上の対応について、調査のうえ謝罪したのは、歴史上はじめてのことであること

最高裁判所が、差別的な取扱いであること、つまり、実質的に、憲法14条違反を犯したということを認めていること


調査報告書の限界

遅くとも、昭和35年以降という限定を付している。菊池事件が除外される。

憲法の公開原則違反および審理の非人道性を認めていない。

「特別法廷」の許可が隔離政策の一環としてなされたものであることが明確にされていない。

被害回復のための再審の必要性について全く論及していない。


菊池事件では逮捕から死刑執行に至るまでの差別的扱いがなされた。

警察官は拳銃で発砲し、右前腕貫通銃創・尺骨の複雑骨折の重症となった。

応急手当を行った内科医、外科医の証言

内科医「ぽたぽたと流れ落ちる大出血で対応できなかった」

外科医「悪質な病気と聞いていたので、早急に手当てして帰らせることが先決と考え、レントゲンもとらず手探りで骨折の見当を付け治療して帰らせた」

ハンセン病患者への偏見からまともな治療をしようとしなかった。


再三の鎮痛剤投与下の取調べと「自白」調書の作成

外科医院から帰った直後に3度に及ぶ鎮痛剤を投与。当日午前1時に鎮痛剤を看護師が持参して投与。翌朝4時に医師往診して鎮痛剤を注射。同日午前8時と午後の8時の合計3 回の鎮痛剤の注射。このような状態下で、弁解録取書と2通の供述調書が作成された。凶器は草刈鎌とされた。


審理における「弁護」の不在

罪状認否で本人は無実を主張したが、弁護人は「何も言うことはない」と言った。裁判長は弁護人の態度を注意していない。弁護人は検察官の書証全てに同意した。証人尋問は実施されず、検証に参加しなかった。菊池事件は裁判の体をなしていない。


死刑執行に至る経過

第3次再審請求棄却翌日に死刑執行され、第4次再審請求が封殺された。


F氏が無実であること

有罪判決の証拠構造

① 凶器とされた短刀と法医学鑑定

② F氏から犯行を自白されたとの親族供述


凶器とされた短刀は、警察が「捏造」したものである。

7月9日に、農小屋から発見されたとされている。

① 小屋の所有者に示されたのは、8月28日

② 九州大学法医学教室への鑑定依頼には、草刈鎌が送付され、短刀なし。

③ 実況見分がなされたのは、8月30日

④ 熊本大学法医学教室に提示されたのは、8月29日

⑤ F さんの取調べには、全く示されていない。

⑥ 裁判所の検証において、発見者の警察官は、8月30日に発見したと指示説明

⑦ 裁判所での証人尋問において、発見した警察官が、8月30日と証言した調書が、後日に7月9日に訂正(質問と答えがいずれも訂正されている)。


殺害の凶器とされた草刈鎌では遺体の傷にならないという鑑定結果が出たから警察が遺体の傷に合う短刀を作り出したのではないか。短刀は20数か所を差し失血死させた凶器であるのに、血痕付着なし。高裁判決は「小屋のそばの池で洗ったのであれば、矛盾しない」とした。しかし、親戚の所有する小屋に、わざわざ洗って置いておくか。池で洗うぐらいなら池に投げ込んで隠すだろう。


これは同じく冤罪と主張される狭山事件と重なる。最重要証拠の被害者のものとされる万年筆が石川さん宅での2回の捜索で発見されなかったのに、逮捕から1カ月以上過ぎた3度目の家宅捜査で勝手口の鴨居の上から唐突に発見された。


親族供述は、警察により強要・誘導されたものであった。

7月8日、伯父を明治時代から使われてきた小刀の所持により銃刀法違反で逮捕した。

7月8日、強制・誘導された大叔母の供述「7月6日の夜 F が訪ねてきて、殺害を告白した」

親族供述の矛盾と破綻

① 伯父と大叔母の供述の相異と変遷

② 伯父の息子夫婦と大叔母の息子夫婦の供述の総意

第3次再審における伯父、大叔母の供述


菊池事件から何を学ぶべきか

ハンセン病に対する偏見差別が人権の守り主というべき裁判官や弁護士にまで及んでいた。多数の利益のためには、少数者が犠牲になったり、不利益を被ったりしても仕方がないという考え方を超えられるのか。

新型コロナウイルス感染拡大の初期に起こったことと菊池事件は重なる。差別された者、弱者のたたかいが歴史を変える。


差別が冤罪(えんざい)を生んだ~狭山事件と菊池事件

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徳田靖之弁護士活動56周年記念連続講演会第7回「飯塚事件・菊池事件」
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