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ハンセン病問題から私が学んだもの

  • 執筆者の写真: 林田医療裁判
    林田医療裁判
  • 2 日前
  • 読了時間: 4分

德田靖之弁護士人生を語る実行委員会は、徳田靖之弁護士活動56周年記念連続講演会第6回「ハンセン病問題から私が学んだもの」を2025年4月27日(土)に大分県大分市金池南一丁目のホルトホール大分の大会議室とZoomで開催した。林田医療裁判を考える会からも参加した。


日本のハンセン病隔離政策は1907(明治40)年 「ライ予防ニ関スル件」から始まる。日清・日露戦争に勝利した文明国たる日本の恥という論理であった。


軍国主義が進む1931(昭和6)年に旧らい予防法が制定される。ハンセン病患者と疑われる人々を隔離するようになった。「大和民族の浄化を図る」という表現が出てくる。ナチスのホロコーストと同じ優生思想である。ナチスの蛮行は教科書で語られるが、日本政府のハンセン病隔離はどれほど教科書で語られているか。


戦後も社会防衛論の下で隔離政策が続いた。多数の人の安全や幸福のためには、少数の人の権利や生活が制約されても仕方がないという考え方である。新型コロナウイルスの感染者差別も重なる。沖縄の米軍基地問題も少数の犠牲は仕方ないと押し付ける論理である。


隔離政策は外国にもあるが、日本の隔離政策は世界に例のない特徴があった。

患者労働の強制:強制労働で指を失った患者もいる。

断種・堕胎の強制:隔離された人々は脱走を試みる。脱走を防ぐために管理者は結婚を認めるが、優生手術をさせる。

無らい県運動の推進:学校現場で差別される。同じバケツを使わせない、フォークダンスで手を握らない、学校への登校を拒否する。

人間が人間に対してなし得る所業でないことが隔離されたハンセン病療養所でなされた。


日本が植民地支配をした朝鮮・台湾においてもハンセン病隔離政策を展開した。朝鮮にはソロクト(小鹿島)更生園、台湾には台湾楽生院を設置した。

ハンセン病隔離政策と植民地支配が重なると想像を絶することになる。ソロクトでは以下の非道な隔離政策が行われた。

・懲罰としての断種。日本は結婚の条件であった。

・神社参拝の強要。韓国に多いクリスチャンにも強要した。

・商品(カマス、レンガ)生産労働の強要

・班ごとにノルマを課しての労働と共同責任

日本は療養所の中で必要なものを作らせたが、ソロクトでは商品を作らせ、それで売り上げを得た。

ソロクトや楽生院に隔離された患者も国賠訴訟を提起した。ハンセン病補償法が2006年に改正され、韓国や台湾に適用された。韓国補償者総数590名、台湾29名に、一律800万円が慰藉料として支給された。


裁判所はハンセン病患者に裁判所の門をくぐることを拒否していた。裁判所は公開法廷ではなく、隔離施設で裁判し続けることを許可し続けてきた。最高裁判所裁判官会議談話は以下の謝罪をした。

「長きにわたる開廷場所の指定についての誤った差別的な姿勢は、当事者となられた方々の基本的人権と裁判というものの在り方を揺るがす性格のものでした。国民の基本的人権を擁護するために柱となるべき立場にありながら、このような姿勢に基づく運用を続けたことにつき、司法行政を担う最高裁判所裁判官会議としてその責任を痛感します」


次回以降の講演会日程は以下の通り。

第7回「飯塚事件・菊池事件」2025年5月25日(日) 14:00開演 16:00終演

飯塚事件-誘拐殺人事件、4つの証拠と疑念

菊池事件-証拠不十分での逮捕、ハンセン病を理由とする特別法廷


第8回「德田靖之、人生を語る」2025年6月21日(土) 13:00開演 16:00終演

伝えておきたいこと(伊方原発訴訟・平和について)を交えながらシリーズのまとめ「80歳、人生を語る」


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差別が冤罪(えんざい)を生んだ~狭山事件と菊池事件


徳田靖之弁護士活動56周年記念連続講演会第6回「ハンセン病問題から私が学んだもの」
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