公立福生病院透析中止死亡裁判の訴訟上の和解では「一件記録上被告病院の医師が、本件患者に対し、「死の選択肢」である透析中止を積極的に提案することで、本件患者を死に誘導した経緯があったとは認められない」と記載されている。
これは公立福生病院側の要求を容れたものだろうが、患者の権利にとって必ずしも悪いことではない。ドクター・キリコやドクター・デスのように信念を持って積極的に死を誘導しなくても死なせる医療は発生する。現実の死なせる医療は、治療の差し控え、過少医療という形の余計な仕事をしたくないという無能公務員的感覚が大きい。死を救済と考えるような感覚すらなしに死なされてしまう方が恐ろしい。その方が文字通り命の切り捨てになる。
むしろ、訴訟上の和解が積極的に死を誘導した訳ではないのに説明や意思確認が不十分であったとしたことは逆に画期的である。積極的に死を誘導した訳でなくても説明や意思確認が不十分ならば解決金を払わなければならなくなるためである。
今後の患者の権利の点では「患者を死に誘導した経緯があったとは認められない」としたことも含めて訴訟上の和解は大きな意味がある。テクノロジーとともに開かれた思考が発展する。旧弊な社会が作り直され、時代遅れの慣習が歴史の屑籠に放り込まれる。
#林田医療裁判 を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」では以下の議論がある。
「この長男の発言とか意見というのは、よく読み返してみるとかなり過激ですよね。そのようなことを言うかという感じですが、それに対して医療側は多分抵抗した可能性もありますが、何となくそれをやってしまったという状況です」(判例タイムズ1475号15頁)
「今だったら多分もしかしたら問題になるかもしれないですよね。要するに延命治療と、それから緩和治療と、それから徹底的に治療するということと、下手すれば安楽死になってしまうような、要するにやめてしまうと、不開始だけじゃなくて中止と、ここら辺の区別がちゃんと説明されたか」(15頁)
但し、公立福生病院が「和解内容としましては、毎日新聞により報道されていた医師が「死」の選択肢を提示し、患者を死へと誘導したという事実は存在せず、事実でないことが裁判所でも認められました」と正統化していることはいただけない。矛先を毎日新聞に向けているが、透析中止事件が大きな問題になったのは毎日新聞の報道が端緒である。
公立福生病院では訴訟当事者以外にも透析中止があると報道された(「透析中止、他にも20人の情報 全員死亡か」産経新聞2019年3月8日)。患者を死へと誘導したかは、これらの事実を知った上で各自が評価すれば良い。
#中野相続裁判 第21回期日
2021年11月12日(金)11時から
#さいたま地裁 C棟105号法廷
傍聴・取材お願いします。
ご参加いただければ幸いです。
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