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  • 執筆者の写真林田医療裁判

医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム第12回

更新日:2020年10月14日

第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」の内容が判例タイムズ1475号(2020年10月号)に掲載された。このシンポジウムは2019年10月9日に東京地方裁判所で開催されたもので、林田医療裁判を取り上げている。


シンポジウムでは多職種のチーム医療がなされていないことを問題視する意見が出た。「現在のポイントとしては多職種が関わったかというのが非常に大事で、そうすれば医師が気付かないところも看護師さんならば常日頃家族とも会っていますし、そういうことが分かっていた可能性もあるということで、やはりここから見えてくるのは医師が1人で決めているような書き方なので、この事例はそこが欠けているのではないかなと思います」(14頁以下)


林田医療裁判では長男が「延命につながる治療を全て拒否」し、長男の意向で治療方針が決められた。シンポジウムでは判決の事実認定について、以下のように整理された。「結論としては、延命措置を依頼しないことが明示的に合意された事実は認めることはできないとなっております」(15頁)。それにも関わらず、判決は延命措置をしないことを適法としており、判決の不合理が改めて浮かび上がった。


シンポジウムでは長男の意見が過激との感想が出た。「この長男の発言とか意見というのは、よく読み返してみるとかなり過激ですよね。そのようなことを言うかという感じですが、それに対して医療側は多分抵抗した可能性もありますが、何となくそれをやってしまったという状況です」(15頁)


参加医師からは林田医療裁判の普遍性につながる指摘が出た。「10年ほど前に足立区のある地域の高齢者で、肺炎で入院した患者さんのDNARの設定率を調べたのですが、その時点では長男と同居しているとやたらDNARが設定されていました。私はそのとき長男って冷たいのだなと思っていたのです」(16頁)。


DNAR; Do Not Attempt Resuscitationは心肺停止状態になった時に二次心肺蘇生措置を行わないことを意味する。この指摘は、同居の長男の意向でDNARにされることが多いことを意味する。個人の自己決定権を無視し、同居の長男の意向で高齢者が死なされてしまう。同居の長男を安直に患者本人の代弁者や家族のキーパーソンにすることは危険である。


林田医療裁判でも患者が心停止した際に「心肺蘇生を実施せずに死亡を確認」したことが「違法か違法でないかと、不法か不法でないか」という論点が指摘された(16頁)。患者本人も長女もDNARについて同意していない。DNARの説明も受けていない。


さらに日本の医療の問題はDNARが安楽死と混同されて拡大解釈されることである。DNAR指示は心停止時のみの話であり、治療の全般的な差し控えを意味しない(原田愛子「「DNAR=治療差し控え・お看取り」じゃない」日経メディカル2020年1月27日)。ところが、安楽死の脱法行為のように使われる傾向がある。


シンポジウムでも参加医師から以下の指摘がなされた。「今だったら多分もしかしたら問題になるかもしれないですよね。要するに延命治療と、それから緩和治療と、それから徹底的に治療するということと、下手すれば安楽死になってしまうような、要するにやめてしまうと、不開始だけじゃなくて中止と、ここら辺の区別がちゃんと説明されたか」(15頁)


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