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  • 執筆者の写真林田医療裁判

第18回市民講座「命は誰のものか―ACPをめぐって」

臓器移植法を問い直す市民ネットワークは2023年5月14日(日)に第18回市民講座〈命は誰のものか〉を東京都江東区亀戸で開催した。日本生命倫理学会会長の香川知晶さんが「命は誰のものか―ACPをめぐって」を講演した。ACP; Advance Care Planningは生命倫理の考え方からすると良いもののように聞こえる。しかし、現実には強いられた自己決定が出てくる。


日本では最終的な医療・ケアに何を選択するかの議論に終始し、人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境作りの議論が等閑にされる傾向がある。厚生労働省がACPの愛称を人生会議としたことも問題である。ACPは計画(Planning)であり、計画を立てることが目的である。ところが、人生会議としたために会議をすることが目的化してしまう。


人生会議には安楽死に誘導する側面がある。現実に経済学者の成田悠輔氏は高齢者の集団自殺が日本の高齢化社会の解決策であると語った。ディストピア映画『PLAN75』が現実味を帯びている。日本では新型コロナウイルスのトリアージも本人の意思が便利に使われている。自己決定の名目で権利の無視であることが分からないようにしている。


以下は感想である。ACPを良いものに見えるとの指摘は正しいだろう。現実の日本の医療はACP以前の実態がある。林田医療裁判(平成26年(ワ)第25447号損害賠償請求事件、平成28年(ネ)第5668号損害賠償請求控訴事件)では患者の長男が延命につながる治療を全て拒否し、それで治療方針が決まってしまった。ACPの要求するプロセスも経ていない。


ACPが強いられた自己決定になる背景は、社会保険費用の削減の狙いがあるからである。公務員の責任逃れ、負担逃れと自己決定は相性がいい。誘導や強制された自己決定でも形式的には本人が自己決定したものと扱われる。公務員のアリバイ作りの自己決定になる。



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