安藤泰至、島薗進編著、川口有美子、大谷いづみ、児玉真美著『見捨てられる〈いのち〉を考える――京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』は京都ALS嘱託殺人とコロナ禍の人工呼吸器トリアージの問題から命の選別について取り上げた書籍である。安楽死や尊厳死、優生思想に警鐘を鳴らしている。
京都ALS嘱託殺人はALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者に薬物を投与したとして、二人の医師が嘱託殺人容疑で逮捕された事件である。
人工呼吸器トリアージはコロナ禍の医療逼迫で人工呼吸器が不足し、人工呼吸器を付ける患者を選別しようとする議論である。東京都杉並区の田中良区長が「トリアージは医療現場に押し付けず、東京都がガイドラインを作るべき」と小池百合子都知事に申し入れして批判を集めた。この問題は立正佼成会附属佼成病院への公開質問状でも取り上げた。
人工呼吸器トリアージが命の選別であり、見捨てられる命になることは明確である。人工呼吸器が必要という需要に応えられない。人工呼吸器が装着されないならば患者の苦しみは大きなものになる。
「呼吸器を外すことがいかに残酷な行為であるか。人間息ができないことほど苦しい状況はない。水におぼれる状態を想像してほしい。せめて心臓が動いている間くらい、酸素を送ってあげよう。生命活動を支えるもっとも重要な物質である酸素だけは、命のつきるまでは送り続けよう。あとわずかの時間を、出来る限り患者の尊厳を保つよう心を込めてケアしながら、大切に見守ろう。命の灯が自然に消えるのを一緒に待とうと家族を説得してほしい。どうせ死ぬ、助からない、だからといって私たちが死ぬ時間を決めてよいのでしょうか」(中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか、ある呼吸器外し事件から』岩波書店、2007年、119頁)。
これに対して京都ALS嘱託殺人が命の選別の問題かについて異論を抱く向きもあるかもしれない。京都ALS嘱託殺人では被害者が死を望んだとされるためである。本人の死ぬ自由を叶えるかという問題と主張されるかもしれない。しかし、そのような問題の立て方自体が命の選別や反延命主義の論理になる。人は順境にあれば死を望む理由はない。その事態に追い込んだ原因を放置して、本人の意思を根拠として死なせることを正当化するならば公務員的な責任逃れの論理になる。この問題を命の選別の問題として取り上げることには大きな意味がある。
現実に公立福生病院事件を考える連絡会・事務局も「いのちの切り捨てを許さない立場」から「京都ALS患者嘱託殺人事件報道に接しての声明」を出している。この声明には林田医療裁判を考える会も賛同した。
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