中野相続裁判さいたま地裁(平成30年(ワ)第552号・共有物分割請求事件、平成30年(ワ)第2659号・共有物分割請求反訴事件)では長女側が証拠申出書を提出し、当事者尋問と証人尋問を申請した。
長女側は長男夫婦の行為が民法第892条(相続廃除)の「著しい非行」に相当する又は準じる行為と主張している。母は亡くなっており、語ることができるのは長女のみである。長女が実際に語る生の声に直接接し、態度や感情等のすべてを感じとることで判断が可能である。机上の法律論だけで結論を出すことはできない。本人尋問は裁判を受ける権利(憲法32条)の問題である。
本人尋問の機会を広く保証することが市民感覚である。「結婚の自由をすべての人に」訴訟東京弁護団と原告がインターネット署名「裁判長、同性婚訴訟の原告から「本人尋問」の機会を奪わないでください」を立ち上げている。インターネット書名には2020年12月16日時点で1675人、12月30日時点で12182人が賛同している。
日本の司法は文書偏重と批判される。以下の官僚制への批判は日本の裁判所に強く該当する。「税務当局や教育制度、その他どんな複雑な官僚制であれ、相手に回したことのある人なら誰もが知っているように、事実はほとんど関係ない。書類に書かれていることのほうがはるかに重要なのだ」(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』上巻、河出書房新社、2018年、206頁)
長男は母親の延命につながる治療を全て拒否した。医師から母親が点滴で生命を維持していることも好ましく思っていないと評されている。第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」では「この長男の発言とか意見というのは、よく読み返してみるとかなり過激ですよね。そのようなことを言うかという感じです」と評されている(第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」の内容が判例タイムズ1475号15頁)。この長男の人間性は当事者尋問によって裁判官自身が判断する必要がある。
長男夫婦側は茶道具等の分割に際して茶道教室の運営の必要性から自己の主張を正当化する傾向があるが、茶道教室の実態がどのようなものであるかを当事者尋問で確認する必要がある。茶道教室は看板を出さなくなった。茶道教室を継承したが、暖簾も評価されないレベルのものに過ぎない。長男夫婦側が茶道具の情報を公開したくないという点も不審である。まとめて転売するようなことを考えているならば別であるが、茶人は自己のコレクションを隠すものではない。
コメント