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執筆者の写真林田医療裁判

庶子惣領相並ぶべし

中野相続裁判はSDGs Target 1.4相続財産の平等な権利確保に寄与します。ターゲット1.4「2030年までに、貧困層及び脆弱層をはじめ、全ての男性及び女性が、基礎的サービスへのアクセス、土地及びその他の形態の財産に対する所有権と管理権限、相続財産、天然資源、適切な新技術、マイクロファイナンスを含む金融サービスに加え、経済的資源についても平等な権利を持つことができるように確保する」(総務省仮訳)。

By 2030, ensure that all men and women, in particular the poor and the vulnerable, have equal rights to economic resources, as well as access to basic services, ownership and control over land and other forms of property, inheritance, natural resources, appropriate new technology and financial services, including microfinance


分割相続について、「田分けはたわけ」という迷言が根強く存在します。この言葉は、相続財産を分割することが愚かであるとする否定的なイメージを助長するものです。しかし、これは相続財産を独占したい一部の人々に都合の良い欺瞞的な論理に過ぎません。実際のところ、分割相続は社会経済を活性化させる重要な要素です。


鎌倉時代においては、分割相続が基本的な制度として確立していました。しかし、惣領の権限は非常に強力でした。この点で、現代の日本国憲法が保障する個人の平等とは異なる制度でした。


鎌倉幕府の御家人は鎌倉殿との間に御恩と奉公の関係を結んでいました。御恩とは、主君からの恩恵を受けることであり、奉公とはその恩恵に報いるための奉仕を意味します。この関係は主に惣領を通じて行われ、武士団の統率が図られていました。例えば、奥州合戦で大串重親が藤原国衡の首級を挙げた際、その首級は烏帽子親である畠山重忠に渡されました。これは、戦功も惣領を通じて評価されることを示しています。


しかし、鎌倉幕府は元寇という未曽有の国難に直面すると、従来の惣領を通じた武士団の指揮体制に限界を感じ、改革を志向しました。幕府は御家人らに異国警固番役を命じ、多くの将兵を集める必要が生じました。このため、庶子(惣領以外の子)を惣領の指揮から解放し、彼らの独立勤務を認める方針が取られました。


正和元年(一三一二年)の鎮西下知状には「庶子惣領相並ぶべし」と記されています。これは鎌倉幕府による「庶子の独立推進立法」と評価されます(佐藤進一『日本の中世国家』岩波文庫、2020年、172頁)。


『蒙古襲来絵詞』で著名な竹崎季長は菊池氏の一族ですが、僅か主従五騎の独立した武士団として参陣しました。このような小規模な武士団の活躍を鎌倉幕府は求めていました。歴史を単純化すると鎌倉時代後期から分割相続が長子単独相続に変わっていったと説明されますが、分割相続を促進するベクトルもありました。


分割相続の制度は、財産の集中を防ぎ、経済の流動性を高める効果があります。財産が多くの相続人に分配されることで、新たな経済活動が生まれ、地域社会全体の活性化が期待できるのです。鎌倉時代においても、庶子が独立して活動することで、地域の経済活動が促進されました。


また、分割相続は公平性の観点からも重要です。一部の人々が財産を独占することなく、広く分配されることで社会全体の安定が保たれます。これは現代においても重要な課題であり、歴史から学ぶべき点が多いと言えます。


分割相続に対するネガティブなイメージは、一部の人々にとって都合の良い論理に過ぎません。実際には、分割相続は社会経済を活性化させ、公平な社会を実現するための重要な制度です。鎌倉時代の歴史を紐解くことで、その意義を再評価し、現代における相続制度の在り方について考える契機とすることができます。



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