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執筆者の写真林田医療裁判

裁判長、原告から「本人尋問」の機会を奪わないで

更新日:2020年12月18日

「結婚の自由をすべての人に」訴訟東京弁護団と原告がインターネット署名「裁判長、同性婚訴訟の原告から「本人尋問」の機会を奪わないでください」を立ち上げました。この裁判は東京地方裁判所に「同性カップルが結婚(法律婚)できないのは憲法違反」と訴えたものです。


原告側は本人尋問を求めています。ところが、「東京地裁の田中寛明裁判長は、裁判の進行を協議する手続きで、「同性カップルの個別事情は、夾雑物(きょうざつぶつ:余計なもの、邪魔なもの)だから、本人尋問は必要ない」と発言し、さる12月2日に行われた期日でも、現時点では不要との考えに変わりがないことを述べました」。そこでインターネット署名を立ち上げました。


インターネット署名では以下のように指摘します。「裁判の結論を左右するこれらの判断は、原告らが実際に語る生の声に直接接し、態度や感情等のすべてを感じとることで初めて判断が可能です。「陳述書」で代替することはできません。本人尋問の機会を奪うことは、原告らの裁判を受ける権利(憲法32条)の否定にほかなりません」


これは同性婚に賛成か反対か以前の問題です。裁判で自分の抱える事実を説明する機会が保障されず、文書だけで形式的に判断されてしまうことが問題です。


これは中野相続裁判とも重なります。中野相続裁判で長女側は長男夫婦の行為が民法第892条(相続廃除)の「著しい非行」に相当する又は準じる行為と主張しています。母は亡くなっており、語ることができるのは長女のみです。長女が実際に語る生の声に直接接し、態度や感情等のすべてを感じとることで判断が可能です。机上の法律論だけで結論を出すことはできないものです。中野相続裁判の本人尋問も裁判を受ける権利(憲法32条)の問題です。


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裁判長、同性婚訴訟の原告から「本人尋問」の機会を奪わないでください

2019年2月14日、私たちは、東京地方裁判所に「同性カップルが結婚(法律婚)できないのは憲法違反」と訴える裁判を起こしました。


日本でも、たくさんの同性カップルが、異性カップルと変わらない共同生活を送っています。


『休日にピクニックに行って、日差しの中で、愛する「妻子」を眺めると・・幸せな気持ちが溢れだし、自然に笑みがこぼれてきます』(東京原告西川さん)


『繊細な性格の自分は眠れない夜もありますが、隣でアニメを見ている呑気なパートナーと一緒にいることで、家族の温かさを感じ、勇気や元気をもらうことができます』(同 ただしさん)


しかし、法的に結婚ができないため、相続や税金、共同親権や在留資格などさまざまな不利益を受け、家族として認められないことで不安や葛藤を抱え、日々、尊厳を傷つけられています。同性どうしの婚姻が認められないことで、性的少数者の若者たちは、自己肯定の感情や将来の希望を奪われています。


『母には愛情深く育ててもらい、何でも相談できる関係でしたが、あるとき、母が、パートナーとの手紙を盗み見していたことが分かりました。私が反発すると「そんな恥ずべきことを(親に)させるようなお前の生き方は、一体、何なの!?」と返され、とても傷ついたことを覚えています。』(同 小川さん)


『叔父、叔母たちの前で私は仕方なくカミングアウトをし、同性のパートナーがいることを告げました。「私は何も悪くない」と念仏のように唱えながら泣きながらの説明になってしまいました。普段は饒舌な父がその場では何も言いません。後日、父は「あの時、かばってやれなくて悪かった」と言いました。私も辛い思いをしましたが、父も同様だったのです。異性カップルであれば祝福されたであろうことが、なぜこんなにもつらい思いをしなければならないのか・・・』(同 大江さん)


憲法は、すべての人は「個人として尊重される」と定めています(13条)。社会には、個人として尊重される人とされない人がいるのでしょうか。そんなはずはありません。

憲法24条は、「婚姻の自由」を保障しています。それは、異性か同性かを問わないはずです。憲法14条は合理的根拠の無い差別を禁止しています。法律上同性というだけで婚姻ができないのは不合理な差別そのものです。


これらを論証するために、私たちは、裁判の当初から、原告らの「本人尋問」を行うことを求めてきました。


「本人尋問」は、原告らが法廷で裁判官に直接話した内容を証拠とする手続きです。宣誓し、相手方や裁判官も質問できるため、証拠として高い価値が認められます。(東京地裁でも意見陳述は実施済みですが、「意見陳述」は「証拠」になりません。)


「本人尋問」は、法的に結婚できないことで同性カップルがどんな困難に直面し、どんな不安や葛藤を抱えているのか、裁判官がその実情を的確に理解し、それが憲法に違反に値するかどうかを判断(評価)するうえで非常に重要な意味を持っています


ところが、東京地裁の田中寛明裁判長は、裁判の進行を協議する手続きで、「同性カップルの個別事情は、夾雑物(きょうざつぶつ:余計なもの、邪魔なもの)だから、本人尋問は必要ない」と発言し、さる12月2日に行われた期日でも、現時点では不要との考えに変わりがないことを述べました。


本件と同様の訴訟が全国4カ所で進行中ですが、札幌地裁では、既に原告本人と家族の尋問が行われ、名古屋・大阪・福岡の訴訟でも、本人尋問を行わないなどという話は出ていません。社会的に注目されている本件訴訟で、本人尋問が行われないのは「異例」の事態です。


たとえば、婚姻ができなければ法律上他人であることは、条文を見ればわかります。しかし、それが、現実に何を意味するかは、当事者の語る具体的事実なしに理解することはできません。


『4年前、私に乳癌が見つかり、抗がん剤治療と手術をしました。癌だけでも十分すぎる恐ろしさなのに、パートナーの西川が家族として認めてもらえるのか、手術の同意書などを西川が書いて大丈夫か、手術室までの見送りはできるのかと、次から次へと不安が襲い、男女だったらこんな心配はいらないのにと歩いていて涙が止まりませんでした。』(小野春さん)


この裁判は、机上の法律論だけで結論を出すことはできないのです。


それだけではありません。結婚できないことが「個人の尊厳」に反するのか、その差別は「不合理」と言えるのか・・裁判の結論を左右するこれらの判断は、原告らが実際に語る生の声に直接接し、態度や感情等のすべてを感じとることで初めて判断が可能です。「陳述書」で代替することはできません。本人尋問の機会を奪うことは、原告らの裁判を受ける権利(憲法32条)の否定にほかなりません。


原告らの中には、病気を持つ者がいます。不安定な在留資格のためパートナーとの生活を脅かされた者がいます。原告らは、人生をかけてこの裁判に臨んでいるのです。


「私はHIVとそれ以外の病気を抱え,寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。天国に逝くのは私の方が先だろうと思っていますが,最期の時は,お互いに夫夫となったパートナーの手を握って,「ありがとう。幸せだった。」と感謝をして天国に向かいたいのです。」(同 佐藤)


どうか、裁判所は、原告らの大切な尋問の機会を奪わないでください。原告一人ひとりの生活と人生に直接耳を傾け、真摯に向き合い、公正な判決を下してください。


※次回の裁判期日である2021年2月24日(水)までに署名を提出します。一人でも多くの声を、裁判長に届けましょう。署名をよろしくお願いします。




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