立正佼成会附属佼成病院病院長先生宛に61回目の公開質問状を送付致しました。
林田医療裁判の患者は、本人の意思確認をしないで死ぬことが決まり、治療をされず、酸素マスクもされず自然死として死亡するに至りました。今回のテーマは、「わたしはここにいます」コミュニケーションです。ご覧いただければ幸いです。
立正佼成会附属佼成病院 病院長 市村正一 様
公 開 質 問 状(61)
2024年2月13日
前略
高齢者の命の大切さ、たった一つの命にこだわって、61回目の公開質問状をご送付致します。
2019(令和元)年6月 私達は、公開質問状に先立ち病院長先生に面談を求めましたが拒否されました。そのため公開質問状のご送付となりましたが、一度もお返事がないまま61回目になりました。
映画「帆花」をご紹介します。
監督 國友勇吾2021年製作 生後すぐに「脳死に近い状態」と宣言された帆花(ほのか)ちゃん。この映画は3歳~小学校入学までの帆花ちゃんと両親の日常を伝えた映像作品です。
2022年1月2日 全国展開。14都道府県 18劇場で上映。この他に14の自主上映も行われました。
2023年7月21日~31日 特別配信。 津久井やまゆり園事件から7年。「事件を風化させない」と期間限定で特別配信を行いました。
2024年2月3日には、帆花(ほのか)ちゃんのお母さんである西村理佐さんの講演「わたしはここにいます」が、東京都江東区亀戸とZoomで開催されました。
帆花ちゃんは、現在16歳ですが、言葉を発することもなく口から食べることもない24時間ケアを必要とします。
西村さんは、具体的なケースを通じて医療的ケア児の個別性とコミュニケーションの重要性を指摘されました。
西村さんのお話からは、命の大切さ、血の通った暖かさが伝わりました。
例えば、「痰をとることが単なるケアではない。コミュニケーションである。重要なことは個別性であり、本人に聞きながらケアをしなければならない」とも指摘しています。
痰の吸引については、林田医療裁判での母の臨終の場面(平成19年9月8日)が思い出されます。
「母の喉に痰が絡んでぜえぜえしていました。長男は、ブザーを持って、そのまま母の顔をじいっと見ていました。母がひゅうっと声をあげて、そのときに長男はブザーを押しました。どうしましたかというナースの声が聞こえて、私はあわててたんの吸引です、早く来てくださいといいました。ナースはすぐ来たのですけど、痰の吸引は間に合いませんでした。」(平成30年(ワ)第552号(本訴)、同年(ワ)第2659号(反訴)共有物分割請求事件 調書7頁)。
また、「母の喉に痰が絡んでぜえぜえしていましたけど、長男はブザーを持ったまま母の顔をじいっと見ていました。長男はブザーを押さずに、ナースをすぐには呼ばなかったのです。」(同調書12頁)とも証言しています。母は喉に痰が詰まって死亡しました。死に顔は酷く苦しそうでした。
実際、母の死を要望した長男夫婦は、母の死を確実なものとした9月7日の昼間に葬儀場に行き、母の通夜と告別式の日取りを決めて申込金を支払いました。
病院に戻った長男の配偶者は、母の弟子達を佼成病院に集めて葬儀の手伝いを依頼しました。しかし、他の家族らには内緒にしていました。葬儀の手伝いを依頼された弟子達は、「先生(母)まだ生きているのに酷い」と泣いたと聞きました。
同じく9月7日の夕方、担当の岩﨑医師は、息が出来ないで喘いでいる患者の面前で、「苦しそうに見えますが今お花畑です。」と述べられました。実際は、長男の酸素吸入拒否に応じた岩﨑医師は、9月3日頃より母の酸素マスクを外して母に自力呼吸をさせていたのでした。しかし、他の家族らは、入院患者である母の治療は尽くされている、と信じていました。
患者の長女は、母の死から2年経っていましたが、カルテを見て初めて母が命を絶たれたことを知りました。
佼成病院では、患者本人や家族らとの医療上のコミュニケーションがなかったのですが、それについてどのようにお考えなのでしょうか? また、患者の意思を推定する取り組みを採られていればお聞かせ下さい。これは、質問事項の2.3.に当たりますのでご回答をお寄せ下さることが道義的にも期待されるところであります。
医療は、国民一人一人の健康と生命に関わるものであるだけに公的に保護されていると同時に規範的な規制も課せられています。患者や家族に向き合った丁寧な説明が求められることは言うまでもありません。立正佼成会附属佼成病院院長先生には、説明責任を果たされることを期待致します。
いつものようにご回答がないままになっています第1回公開質問状を以下に記載致します。この質問状が患者の人権に不可欠な最善の医療を実現させるための一助にしたいと考えます。
草々
公開質問状本文は下記にあります。
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