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  • 執筆者の写真林田医療裁判

公立福生病院透析中止死亡裁判の和解声明

#林田医療裁判 を考える会は #公立福生病院 #透析中止 死亡裁判を支援します。


公立福生病院透析中止死亡裁判の訴訟上の和解は説明不十分で解決金を支払わなければならないというところに可能性を感じる。説明義務違反という形では説明に何らかの問題があっても義務違反を認定させることへのハードルは高かったが、これからは不十分であることが問題になるだろう。


訴訟上の和解の契機は2021年7月14日の第8回期日(原告の本人尋問と被告病院医師証人尋問)終了後に突然、裁判長から和解勧告がなされたことである。8月19日の第9回期日で結審し、判決期日も12月3日と予定されていたが、10月5日の和解協議で和解が成立した。公立福生病院事件弁護団と公立福生病院事件を考える連絡会・事務局は同日、東京地裁の司法記者クラブで記者会見を行った。「弁護団声明」、「和解に当たっての原告メッセージ」、連絡会事務局「和解成立に当たっての声明」の文書を出した。


弁護団声明

2021年10月5日

公立福生病院事件弁護団

弁護士 冠木克彦

弁護士 内田明

弁護士 中川素充

弁護士 山川幸生


1.2019 年(令和 1 年)10 月 17 日に提訴した公立福生病院事件は、本日、原告らの勝利的和解で終結しました。


本件は、2019 年(平成 31 年)3 月 7 日付毎日新聞紙上で「透析患者に『死』の提案」「治療中止 7 日で死亡」との見出しで報道され社会に大きな衝撃を与えました。以来、日本透析医学会の声明や対応、それに対する批判などの議論が起こる中で、本件裁判は進められました。


2.裁判所は、本件和解条項の前文において「一件記録上被告病院の医師が、本件患者に対し、「死の選択肢」である透析中止を積極的に提案することで、本件患者を死に誘導した経緯があったとは認められない。しかしながら、透析中止の判断が患者の生死にかかわる重大な意思決定であることに鑑みると、一件記録上、本件患者に対する透析中止に係る説明や意思確認に不十分な点があったといえる」と述べたうえで、被告病院に責任があることを前提とした和解案を勧告したものです。また、本件報道当時、東京都が直ちに被告病院に対して行政指導を行いましたが、これを踏まえ、和解条項には、東京都の指導事項を遵守すること、再発防止のため、「患者への適切な説明」「患者にセカンドオピニオンを求められること」「決定を留保」「変更」できること、意思決定後も患者の症状変化等に応じて適宜その意思に変更がないか確認するよう努めることなどを約束させる条項が盛り込まれています。


3.本件事実関係の中で、多くの人の涙をさそった場面は患者が透析離脱証明書にサインしたあと、苦しくなって入院し、尿毒症や肺水腫による耐えがたい苦しさから、身をよじって何度も苦しさを訴え、透析離脱について「撤回」すると訴えたにもかかわらず、被告病院医師は透析を再開せず、死亡への流れをそのまま放置しました。この場面で裁判所の指摘する説明と意思確認をしていれば患者は死亡することはなかったと私達は考えています。


4.本件は、ここで指摘した問題点だけでなく透析の治療中止の可否という問題(終末期ではない患者について医師は透析を中止してよいかという問題)や中止後の鎮静剤の大量投与などもっと解明すべき諸点は論点としてはありましたが、限られた証拠の中で、患者遺族の無念さを少しでも減少させ最低限の利益を守って救済することを最も重要な課題として取り組んでまいりました。


5.原告らも一定の成果を認め、安らかな生活に戻ることができることを喜び、一方、被告に対しては、本和解条項に記載されている事実以外においても訴訟の中で指摘した諸点を自覚され、二度とこのような事件を起こさない患者中心の医療方針をたてられることを望む次第です。

以上


和解に当たっての原告メッセージ

私が裁判に訴えたのは、なぜ透析を再開してくれなかったのか、なぜ急に死んでしまった

のか、その経緯と真実を知りたかったからです。これまで、公立福生病院の先生からは何の説明もありませんでした。

今回、裁判に訴えて、分からなかった事が見えてきました。


8 月 15 日の夜から 16 日までの、自分が胃の手術を受けている間、痛みや苦しみの中で透析再開を妻が必死に訴えていた事を知る事が出来ました。自分が何もしてやれなくて物凄く悲しくなりました。あれだけ必死に訴えているのに病院側は対応してくれなかったことも分かりました。先生は、本人が混乱した状態で言ってる事だと言いますが、混乱していたとしてもなぜその時によく話をして本人と向き合ってくれなかったのか?混乱していたのは おそらく相当な苦しさがあったからだと思います。苦しくて混乱した中でも助けを求めていたのだと思います。今生きている全ての人、死んでもいい人なんて誰もいないはずです。今の世の中、死にたいと思っている人がいるかもしれませんが、死んでしまったら悲しむ人が必ずいるということを考えて欲しいです。自分はこのように思います。


和解に当たって、病院に言いたことは、患者がどんな状態でも、患者の言葉に耳をかたむけて話をよく聞いてほしいということです。痛かったり苦しいときは誰でも本気で訴えていると思います。他人からは大したことはないように見えても、本人にとっては一大事だと思います。


これから先同じような事が起きないように、患者への意思確認をこまめにしていって欲しい、命の尊さを今一度よく考えてほしいと思います。

2021 年 10 月 5 日


和解成立に当たっての声明

2021 年 10 月 5 日、公立福生病院事件民事訴訟の和解が成立しました。私たちは、2019年6月に連絡会を結成し、この問題に取り組んできました。原告を支援してきた私たちは、裁判所の示した和解条項が、同病院の再生を促すきっかけとなることを期待します。患者に向き合い、救命を尽くすまっとうな医療機関となることを求めます。


和解条項 1 項において、被告病院は原告に対して「東京都の指導事項を誠実に遵守し,医師,看護師その他の医療従事者が医療を提供するに当たり適切な説明を行い,医療を受ける者の理解を得るよう努めること,医療ケア・方針決定に当たって患者にセカンドオピニオンを求められること,決定を留保できること,決定を変更できることを十分に伝え,意思決定後も,患者の病状変化等に応じて,適宜その意思に変更がないか家族等とともに確認するよう努める」と約束しました。今後これを誠実に履行することを求めます。


本事案では、医師自らが作成した「透析離脱証明書」に、意思を撤回して透析を再開できる旨の項目はありませんでした。死亡した女性は、「自分で決めた。だけどこんなに苦しくなると思わなかった。撤回するならしたい。でも無理なのも分かっている」と話したことがカルテに記載されています。


この言葉は意思を変えることができるとの説明がなかった証左であり、患者が抱いた署名の重さとその後悔が伝わります。その後も肺水腫の増悪で女性は「こんなに苦しいなら透析した方が良い。(中止を)撤回する」と叫びました。助けを求めた患者に、担当医は「人間辛いときはいろんなことを言う。」「意識が清明なときの意思を尊重した。」と救命にむけた治療を行いませんでした。原告が「苦しい時にこそ本音が出る」と語ったように、私たちは患者の苦しみや気持ちの変化に寄り添い、救命を尽くすための医療を、今後も求めていきます。


昨今、老いや病、障害とともに生きることが否定される風潮が強まる中、人工呼吸器や胃ろう、そして人工透析までもが「無駄な延命治療」と手控えられるようになってきています。被告病院が事件当時の病院指標に「腎不全に対する代替療法は、非導入、血液透析、腹膜透析、移植の 4 つの選択肢を提示し、患者と家族に決定して頂く」を掲げ、担当医が「血液透析は治療では無い。腎不全というものによる死期を遠ざけているにすぎない。多くの犠牲もつきものだ」との持論を展開し患者に選択を迫ったことは、こうした状況を象徴しています。和解条項前文が「透析中止の判断が患者の生死に関わる重大な意思決定であることに鑑みると・・」と指摘するように、透析非導入・透析中止を「自己決定」と称して推し進めることは、患者を死へ誘う危険性を孕んでいると危惧します。


「入院すれば助けてくれる」と被告病院に寄せた原告の信頼は、「看取りのための入院」とする方針を変更しなかった医師・病院に裏切られました。「苦痛緩和のため」と使用されたドルミカムという鎮静剤の量や使用方法はガイドラインを逸脱しており、被告病院の担当医自身が「鎮静によって死期というのが短くなる,早まってしまう可能性もある」と証言していますが、この鎮静剤の使用は、家族や医療チーム全体で十分に話し合い慎重に扱われるべきです。裁判所は争点としなかった問題ですが、私たちは重大な問題だと捉えています。


また、この和解条項は、同病院の運営を問うだけでなく、日本透析医学会の姿勢をも問うものと考えます。同学会は、2019 年 3 月当時、すでに東京都が問題視し、今回裁判所が指摘した同病院の運営について、2019年5月の「日本透析医学会ステートメント」で、問題なしとしました。しかし、35 万人ともいわれる透析患者(同学会調査 2019 年末で 344640 人)の人生といのちを守るためにも、学会は裁判所が指摘したように「本人意思」だからと安易に治療(透析)中止を行うことがないよう会員に周知することを求めます。


私たちは、本件和解を通じて、医療や福祉が死に向けた意思決定支援ではなく、生きるための支援へと取り戻されていくことを願い、その実践を注視し続けます。

2021年10月5日

公立福生病院事件を考える連絡会・事務局



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