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執筆者の写真林田医療裁判

露地

更新日:2022年1月27日

#中野相続裁判 #さいたま地裁 で長女は陳述書(1)乙21、(2)乙25(3)乙43、(4)乙53、(5)乙73,(6)乙82、(7)乙83、(8)乙89を書いています。

陳述書では茶室と露地についても説明しています。


第22回期日(第21回口頭弁論)本人尋問

日時:2022年1月28日(金)午後1時30分

場所:さいたま地裁C棟105号法廷

事件番号:平成30年(ワ)第552号・共有物分割請求事件、平成30年(ワ)第2659号・共有物分割請求反訴事件

裁判所:石垣陽介裁判長、高橋祐子裁判官、牧野一成裁判官



茶室は最小の空間に豊かな広がりを与える世界に誇る日本の伝統建築である。茶室が豊かな広がりを有する理由は、露地とつながっている点に求められる。露地は心の入れ替えをするための通り道である。清掃された露地を通り、塵を払い、蹲で手を洗い、口を漱ぎ清められて茶室に入る。つまり、茶の湯の空間は、茶室だけでなく、外界(露地)と一体に仕組まれている。茶道も桂離宮などと同じく庭屋一如の精神を継承している。


茶室には床の間がある。床の間は掛軸や花生けを置く場所である。しかし、この掛軸はただ飾るためだけに置かれているのではなく、掛け軸の墨蹟を通して禅僧の心を味わうためにある。禅の心とは、自己との対話であり、自然への感謝である。禅の世界では、日常雑事を離れた悟りの境地を垣間見ることができる。


「或る対象は、それが置かれるべき場所に置かれることによって、はじめてその真価を発揮する。花は花瓶に生けられ、花瓶は床の間に置かれ、床の間は茶室の中にあり、茶室は風雅な庭園の一隅にしつらえられている」(尾高朝雄『自由論』ロゴス社、二〇〇六年、四五頁)。


千利休は茶室を現世における清浄無垢な仏土を実現する場と位置付けた。その清浄なる空間に入るに際しては心を入れ替えることが求められる。浮世の雑念を捨てて茶室に入るための仕掛けが露地である。露地は茶室に至る道であると同時に、茶室に籠もる心の静謐さを表す風景でもある。露地に足を踏み入れると、そこはもう別世界になる。


利休が露地に高い精神性を付与していたことは以下の言葉が示している。

「露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなどちらすらん」

「露地は草庵寂寞の境をすべたる名なり、法華譬論品に長者の諸子三界の火宅を出て露地に坐すると説き、また露地の白きと云ひ、白露地共いへり。一身清浄の無一物底也。」(『南方録』)


心理学者は露地の心理効果を以下のように説明する。「露地とは、この浮世の外にある地上の天国、いや極楽の超ミニ版への超ミニ参道で、進行につれて刻々と清浄感や鎮静効果が深まる」(安西二郎『新版 茶道の心理学』淡交社、一九九五年、三三頁)。


現代では茶室を独立の建物として構えることは稀で、住宅内の一室を茶室とするケースも多い。その場合でも茶室の隣でザワザワ、ガヤガヤと話し声が聞こえるような場所では茶室の静寂さはなくなってしまう。茶室を聖域とする工夫が求められる。





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