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執筆者の写真林田医療裁判

シンポジウム「公立福生病院事件裁判が問うたもの」

公立福生病院事件を考える連絡会事務局は2022年2月12日(土)にシンポジウム「公立福生病院事件裁判が問うたもの」を開催した。公立福生病院裁判では2021年10月5日に訴訟上の和解が成立した。弁護団長の冠木克彦弁護士、裁判で医師意見書を提出して下さった清田敦彦医師が登壇し、この裁判が問うたこと、訴訟上の和解の意義を話した。

The secretariat of the Conference on the Public Fussa Hospital Case held a symposium, "What the Public Fussa Hospital Case Trial Questioned," on Saturday, February 12, 2022.


シンポジウムは東京都三鷹市の三鷹産業プラザとZoomのハイブリッド開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大により、Zoom中心の開催とした。林田医療裁判を考える会からもZoomで参加した。公立福生病院事件を考える連絡会は2020年1月13日のミニ勉強会「安楽死や治療中止等についての裁判事例、判例について」で林田医療裁判を取り上げている。


冠木克彦弁護士(公立福生病院事件裁判弁護団長)は「公立福生病院裁判闘争の意義と成果」を話した。冒頭で臓器移植の問題を話した。臓器の提供を家族の同意で良いとなった。制度を作った時は本人の自己決定を根拠としながら、家族の同意で良いとしたことは問題と述べた。これは林田医療裁判に重なる問題である。林田医療裁判ではキーパーソンの意見だけで治療方針が決められた。


公立福生病院透析中止事件では医師は透析を中止した場合のデメリットを具体的に説明していない。透析を中止すると、どのような苦しみがでて、その苦しみの程度はどうかとか、それがどの程度続くかとかを説明していない。透析を中止すると尿毒症や肺水腫で苦しむ。実際、患者は8月14日に「こんなに苦しくなるとは思わなかった」と言っている。


裁判所が和解調書に前文をつけたことは異例。「透析中止の判断が患者の生死に関わる重大な意思決定であることに鑑みると、一件記録上、本件患者に対する透析中止に係る説明や意思確認について不十分な点があったといえることを踏まえ、当裁判所は、本件紛争の適切妥当な解決策として和解を勧告」が重要である。


証人尋問で医師は透析するよう説得しなかったか理由として、透析を対処医療だからと証言した。「何かの医療、これ根治の医療だと話は別で、本人が嫌がろうが何しようが説得をしてその治療を行えば元どおりに治るので、その説得はします。ただ、対処医療においては、その説得をしたことによる根治は得られないということになるので、積極的にその対処医療の何かの一つの選択肢を推し進める説得するということはうちの病院ではしていません」


これに対し裁判所は救命治療(根治治療)と延命治療(対処医療)という区別をせず、「生死に関わる意思決定」は差別なく、「慎重かつ丁寧な説明」を要求した。この根治治療と対処治療を分ける発想は、点数稼ぎの公務員体質があるだろう。根治によって点数稼ぎができるものは積極的に頑張るが、そうでなければ手をかけないようにしてしまう。そもそも医療で根治できると考えることが傲慢である。多くの人は病気と付き合いながら生きている。新型コロナウイルス感染者の多くは退院後に後遺症を抱えている。


「自己決定権」の論理には罠がある。「それはあなたの自己決定だ」と言う場合は哀れな個人に百貫の重責を背負わせる言葉である。自己決定論は関係していた他の人々を免責し、ただ一人「本人の責任」だけを問い、落とし込める言葉である。何人も、死に至るまで、救命のための治療を受ける権利を有していることである。このことは、根治医療か対処医療かの区別によって左右されない。


清田敦彦医師(日本腎臓学会腎臓専門医/日本透析医学会認定医、指導医)は「腎臓専門医がこの事件を振り返る」を話した。「透析をしたくない」と「死にたい」は同じではない。ほとんどの患者は透析を嫌っている。


透析中止事件を以下のように整理した。「本件は慢性腎不全を患い、腎代替療法として血液透析を受けてきた患者が、種々の理由により同治療を忌み嫌い、公立福生病院腎センターの主治医と相談の上、透析を離脱し、そのことにより肺水腫を来し、更にドルミカム(麻酔薬)の多量投与により呼吸不全を来して死に至った、本邦において比較的稀な事案である」


透析病院事件の倫理的問題として医師がスポーツジムに行っていたことをあげる。患者は亡くなる前日(8月15日)の夜に呼吸困難を訴え、病棟看護師もそれを聞いていた。しかし、医師は同日の18時頃に被告病院を退出し、21時頃には公立福生病院から、車で50分以上離れたスポーツジムにいて、結局その日は病院に戻らなかった。このような緊迫した状況下で、余程大切なレッスンだとしても、被告病院から車で50分以上も離れた場所に行くことは、患者が透析中止の意思を翻したとしても、直ぐに緊急透析をして救命しようという考えがなかったことを示す。


チーム医療が機能していない点を問題と指摘した。周辺の同僚医師、看護師や他のコメディカル、事務職、医療ソーシャルワーカーなどのチーム医療構成員達が、当該医師の偏った考え方や自殺幇助とも疑われるような行動、指示に抵抗しなかった点に異常性を感じる。「チーム医療が機能していれば」という点は林田医療裁判にも当てはまる。


島隆雄医師が「一透析医としてこの事件をどう捉えたか」を話した。日本透析医学会は透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについて提言しているが、患者中心の医療を提言する姿勢ではない。昔のパターナリズムには患者のための医療という良心があった。公立福生病院の医師は患者には自己決定権があると突き放している。一緒になって悩むことが大事である。


自己決定権と言っても社会が要請する面もある。低所得者は費用を理由とした受信控えの割合が高い。質疑応答でも患者が透析中止を選択する背景として貧困があると指摘された。日本では、それしか選択できない状態にしながら、それを主体的な選択と決めつける勘違い自己責任論がまん延している。新型コロナウイルスに感染した患者も延命治療を拒否すれば入院しやすい、延命治療を希望すると中々入院できないという運用になっている。


事務局から古賀典夫さんが「公立福生病院事件の背景」を話した。治療を中止して良いという基準が出ると、どんどん酷いことが行われてしまう。いのちを切り捨てる流れに対する市民の側からの反撃が広がってきている。一緒に生きて行こうと呼び掛ける医療現場、社会、世界を作っていきたい。


透析中止事件を最初に報道したジャーナリストの斎藤義彦さんが話した。裁判前は遺族に事実の説明も謝罪もなかった。裁判で医師がようやく遺族に対して事実経過を説明した。訴訟上の和解は死の選択肢を提示するリスクが示されたと考える。



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