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  • 執筆者の写真林田医療裁判

ホモ・デウスと林田医療裁判

ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』上下巻(河出書房新社、2018年)の医療の概念が20世紀と21世紀で変化しつつあると指摘する。これは林田医療裁判(平成26年(ワ)第25447号損害賠償請求事件、平成28年(ネ)第5668号損害賠償請求控訴事件)で考えさせられる。


『ホモ・デウス』は20世紀の医療が病人を直すことを目指していたとする。そこでは誰もが享受でき、享受すべき心身の健康の標準的な基準があることを前提としていた。もし誰かがその基準を下回ったら、その問題を解決し、その人を他の誰とも同じになることを助けることが医師の仕事であった。


これに対して21世紀の医学は健康な人をアップグレードにすることに狙いを定めつつある。これは一部の人々を他の人々よりも優位に立たせようとするエリート主義とつながる(下巻185頁)。これはディストピアになる可能性がある。


林田医療裁判は診療義務を果たしていないとして患者の長女が長男夫婦と病院を訴えた裁判である。患者の長男は「延命につながる治療を全て拒否」した。病院は長女に確認せずに、それをキーパーソンの判断とした。


長女側は病院側には標準的な医療を行う義務があるとの主張に力点を置いていた。長男が何を言ったかは無関係に、標準的な治療水準というものがあり、それを果たしていない病院は義務違反という論理を強調していた。これは『ホモ・デウス』の20世紀的な医療観である。

しかし、判決では一標準的な治療水準は問題ではなく、長男が「延命につながる治療を全て拒否」する意向を出している中で、その意向に従うことが是か非かという問題意識で議論していた。裁判後に林田医療裁判を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」でも病院がキーパーソンを誰にするか家族各人に確認しなかった点や病院側も主治医一人ではなくチーム医療や倫理委員会で判断しなかった点に問題があるのではないかとの意見が出ている。


標準を定め、それを普及させたり、標準のレベルを押し上げたりするのではなく、個々人の意思に合致するかを重視する傾向が21世紀に強まっている。




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