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執筆者の写真林田医療裁判

医療過誤原告の会・中部地区集会

医療過誤原告の会の中部地区集会が2024年11月23日(土・祝)13:30から16:30まで名古屋市中区三の丸1-7-2の桜華会館会議室で開催されます。内容は活動報告・会員の交流です。終了後、交流会を予定しています。


名古屋は御三家尾張藩の城下町として多くの商家が軒を連ねました。名古屋城は慶長15年(1610年)に築城され、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われました。

名古屋では元禄13年(1700年)の大火の後、防火のため四間(約7m)の道路が作られました。尾張藩は石垣の上に土蔵を建てて防火壁とすることを奨励しました。名古屋駅から徒歩圏の堀川の西側には、その町並みが残り、四間道(しけみち)の名の街並み保全地区になっています。黒の本瓦に白壁土蔵の建物が並び、商人の町の風情が残されている通りです。江戸時代の情緒を伝えます。名古屋で希少価値の高い街並みです。

四間は江戸時代の大通りです。もっと大きな通りは六間です。六間の通りは二車線の車道として利用され、沿線の開発が進みました。埼玉県さいたま市にも六間道路と呼ばれる道路があります。逆に四間道だから街並みが保存されたと言えるかもしれません。

四間道の南端には浅間神社があります。江戸時代の正保4年(1647年)に遷座したとされます。浅間神社は木花開耶姫(このはなさくやひめ)が御祭神です。木花開耶姫は山彦、海彦を生んだ神です。境内の楠や欅は樹齢300年以上です。四間道の路地を入ると突き当りが子守地蔵尊です。

四間道を進むと円頓寺商店街に出ます。円頓寺商店街は名古屋市西区那古野のアーケード商店街です。名古屋の下町です。円頓寺商店街は名古屋で一番古い商店街とされます。長久山圓頓寺の門前町として栄えました。正しい読みは「えんどんじ」ですが、今は「えんどうじ」となっています。

名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に東西に延びています。しかし、南北に走る幹線道路によって分断され、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街に分かれました。東から円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街です。

円頓寺商店街は全国の商店街と同様、消費スタイルの変化からシャッター街となっていきました。余所者の建築家の活動を契機として、空き店舗を個性的な店舗で再生し、活性化しました。スペイン風居酒屋や古民家カフェ、ブラジル音楽専門店などが地域外からも人を呼び込みます。コンサルティング会社や自治体主導とは真逆の進め方が成功要因です(山口あゆみ『名古屋円頓寺商店街の奇跡』講談社、2018年)。

2015年にはフランスのパリの商店街パサージュ・デ・パノラマと姉妹提携しました。秋にはパリ祭が開催されます。パサージュ・デ・パノラマは切手商が集まることで知られています。

円頓寺商店街の脅威は開発による高層化です。「土地の高度利用が進むことで、那古野地区の持っている地域の風情や情緒が消えていくことが懸念される」(岩田悠佑「那古野地区のまちづくりの方向性 那古野スタイルの構築」名古屋都市センター平成23年度自主研究報告書、2012年、4頁)。再開発の高層化が地域の風情を破壊しています。

円頓寺商店街の中ほどに金刀比羅神社があります。境内には赤い灯篭が並んでいます。間口が狭く奥に長い長方形です。名古屋城築城時より城内三之丸の大道寺氏邸内に祭られていましたが、幕末の安政六年(1859年)に移されました。名古屋弁のおみくじがあります。

円頓寺本町商店街には金のシャチホコがありました。「円頓寺本町」と書かれた赤い台座の上に鎮座しています。目に迫力があります。歯が銀色です。商店街の中に「まちなか農園」という広場があります。ローズマリーなどが植えられています。


四間道や円頓寺商店街、円頓寺本町商店街は、あいちトリエンナーレ2019の会場になりました。芸術監督の津田大介さんが町の雰囲気を気に入ったとされます(「アート沸騰「新たな発見して」 名古屋・円頓寺商店街」中日新聞2019年8月31日)。

四間道や円頓寺商店街、円頓寺本町商店街では、あいちトリエンナーレ2019開催時期にポスターが掲示されました。ポスターには参加アーティストとのエキソニモ、サカナクションが大きく書かれていました。


柳橋中央市場は愛知県名古屋市中村区名駅にある民間の食品卸売市場です。名古屋駅から徒歩圏にあります。約400店舗の店舗が集結し朝市も開催しています。飲食店も沢山あります。観光スポットになっています。市場は1910年(明治43年)成立という長い歴史があります。民間市場のために住民の食生活を支える民間感覚が強いです。

市場は公正な価格を形成する場所です。良い品を妥当な価格で調達できます。柳橋中央市場の近くには名古屋市営地下鉄東山線の柳橋駅を作る構想がありました。河村たかし市長は「うまいもん食いに行くには柳橋(駅)というのを造る」と発言しました(関謙次「名古屋の台所、柳橋に地下鉄駅構想 市が実現に前のめり」朝日新聞2019年3月12日)。



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