新型コロナウイルス感染者増加による医療資源逼迫に対して、東京都杉並区の田中良区長が求める命の選別の基準作りは問題である。田中区長は2021年1月8日に小池百合子東京都知事に以下の趣旨の申し入れをしたという。
「国や都は早急に情報を公開して国民的・都民的な議論を行い、トリアージ(治療優先度の順位付け)のガイドラインをつくるべきだ。命の選別という重責を医療現場だけに押しつけられない」(「「小池都知事は責任を果たせ!」命の選別が迫る医療現場…杉並区長が“無策すぎる都政”を告発」文春オンライン2021年1月11日)
このような姿勢に対しては既に舩後靖彦参議院議員が批判している。「高齢者や難病患者の方々が人工呼吸器を若者などに譲ることを「正しい」とする風潮は、「生産性のない人には装着すべきではない」という、 障害者差別を理論的に正当化する優生思想につながりかねません。今、まず検討されるべきことは、「誰に呼吸器を付けるのか」という判断ではなく、必要な人に届けられる体制を整備することです」(「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「命の選別」への声明」2020年4月13日)
これに対しては現実に不足している場合の回答にはならないとの反論が予想される。命の選別は現実に起きている問題である。新型コロナウイルスに感染し、入院する必要があっても、病床の都合で入院できない人が増えている。埼玉県の2021年1月15日の自宅療養者は3465人、入院調整中は261人である。
既に病床は逼迫ではなく、入院できない患者で溢れている状態である。病床使用率は100%ではないが、まだ余裕があると解釈することは勘違いである。100パーセントに満たない分は病院がリザーブしているもので、新規に患者が出ても必ずしも提供されるものではない。新規お断りという現在の事実上の状態も、既に一つの選別をしていることになる。
以下は大阪の開業医の医療ネットワークでの報告内容を紹介した文章である。「高齢者施設や療養型病院で感染した患者さんは、多くの場合は集中治療室にも入りませんし、人工呼吸器もECMOも装着しませんので、重症患者には数えられません。悲しいことですが、年齢や患者背景から、救命すべきと判断された人だけが急性期病院の重症ベッドに入院できる状況です」(細井雅之「『赤信号』大阪:現場で起こっていること」週刊日本医事新報5043号)
この状況でガイドラインを作ることや作るために議論すること自体は否定しない。ガイドラインは現場が恣意的に選別することのストッパーとして意味を持つ。国家権力に対する憲法のような役割である。林田医療裁判でも厚生労働省のガイドラインが一定の意味を持った。ところが、田中区長には医師や病院が仕事をしやすくするための基準作りという視点しかない。
また、田中区長はチーム医療の進歩を理解していない点が問題である。田中区長の問題意識は「「この人から人工呼吸器を外して、あの人に付けないといけない」という判断を現場の医者に押しつけていいのか」である。しかし、ガイドラインがない現時点でも、現場の医師が一人で判断することではない。チーム医療になっており、チームとして判断する。問題の性質からいって倫理委員会マターである。チーム医療による判断は林田医療裁判を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」でも強調されている。
逆にガイドラインがあるとしても、ガイドラインに当てはめる作業は残る。ガイドラインに照らして実体的にも手続的にも適正か否か説明責任が問われる。この点でもチーム医療や倫理委員会の判断が重要になる。
田中区長は「あらかじめ説明や合意がなければ、人工呼吸器などを外されて亡くなった患者の遺族から、病院や医者が訴訟を起こされるかもしれません」と言う。しかし、「あらかじめ説明や合意」があっても、最初に説明と合意を取り付ければ終わりというものではない。それではアリバイ作りのための説明や合意になってしまう。
杉並区長の姿勢に感銘受けない要因がある。杉並区は東京23区で唯一2021年に成人式を強行した。新型コロナウイルス感染防止最優先の姿勢とは言えない。その一方で命の選別の基準作りを進めようとしており、切り捨ての姿勢と見られても仕方ないだろう。
杉並区は2020年4月に新型コロナウイルス対策補正予算を出して注目された。しかし、その内実は立正佼成会附属佼成病院など既存病院の損失補填の意味合いがあった(林田力「杉並区が新型コロナウイルス対策で補正予算案」ALIS 2020年4月19日)。今回の基準作りも病院や医者の訴訟リスクに言及しており、患者本位の発想ではない。
תגובות