公益財団法人生存科学研究所令和2年度助成研究事業シンポジウム「患者安全への提言は生かされるか」が2021年3月13日に開催された。群馬大学医学部附属病院医療事故調査委員会報告書の「再発防止への提言」をテーマにする。New Normal時代を反映してZoomでも配信した。林田医療裁判を考える会からも参加した。
群馬大学医学部附属病院では外科手術で死亡事故が相次いだ。群馬大学医学部附属病院医療事故調査委員会報告書では「再発防止への提言」を盛り込んでいる。そこでは群大病院のみならず、全国の大学病院そして医療界全体に対して、一連の事故の教訓を生かしてほしいという思いを込めて書かれている(上田裕一、神谷惠子編著『患者安全への提言 群大病院医療事故調査から学ぶ』日本評論社、2019年)。
群大病院の医療事故は「群大のみならず日本の医療現場が長年抱えてきた課題を浮き彫りにした出来事」と位置付けられる(長尾能雅「群大事故が遺した課題とその後の日本の医療」)。「報告書の提言内容は、全ての病院に向けたものである」(上田裕一「『患者安全への提言』 外科診療の課題」)
これは多くの医療問題に該当することである。林田医療裁判では患者の長男が経管栄養の流入速度を速め、「延命につながる治療を全て拒否」した。その後の大口病院事件では点滴の管理が問題になった。公立福生病院透析中止事件では死の誘導が問題になった。林田医療裁判で問われた争点は現代日本の医療の問題として問われ続けている。医療問題は単なる一つ事件として終わらせるものではない。
シンポジウムは二部構成である。第1部は群馬大学病院医療事故調査委員会のメンバー6人が報告書にどのような思いを込めたのかを説明する。第2部は、それを患者安全の現場の医師達はどう受け止めたかを語る。
長尾能雅「群大事故が遺した課題とその後の日本の医療」は「真に求められるインフォームド・コンセントの実践」として「患者の熟慮期間の確保が求められる」と指摘した。Informed Consentは患者への説明に1時間かけた、2時間かけたから十分というものではない。熟慮して考え直すことができる期間を保障することがInformed Consentになる。
患者の権利には「撤回権、診療拒否権」が含まれると指摘する(甲斐由紀子「患者安全への提言は生かされるか 群馬大学医学部附属病院の腹腔鏡手術事故の外部委員を経験して」)。群大病院では「説明が、手術の前日や前々日に行われるなど、患者が熟慮するための時間が確保されていなかった」(神谷惠子「法的観点からの報告書の分析とそこに込められたメッセージ 患者安全に向けた医療の在り方」)
これは「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」の繰り返しの意思確認に通じる。「時間の経過、心身の状態の変化、医学的評価の変更等に応じて本人の意思が変化しうるものであることから、医療・ケアチームにより、適切な情報の提供と説明がなされ、本人が自らの意思をその都度示し、伝えることができるような支援が行われることが必要である。この際、本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、家族等も含めて話し合いが繰り返し行われることも必要である」
林田医療裁判の公開質問状では立正佼成会附属佼成病院に「「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」の強調する繰り返しの意思確認を実現するために取り組みをしていますか。している場合、その具体的内容を教えてください」と質問している。これは患者安全の観点で意味があることを再確認した。
甲斐由紀子「患者安全への提言は生かされるか 群馬大学医学部附属病院の腹腔鏡手術事故の外部委員を経験して」も「患者・家族は、自己決定のための情報や熟慮期間が確保されず、不十分と認識していた」と指摘する。患者に共通する思いは「事前に合併症の発生を聞いていれば、治療を受けなかった」である。患者と医療従事者には「診療情報の非対称性(情報量と質の違い)」がある。患者にとって適切な説明をする必要がある。
これは消費者と事業者の情報の非対称に基づく消費者保護の分野と同じ問題である。消費者契約法では事業者が不利益事実を告知しなければ売買契約を取り消すことができる。東急不動産だまし売り裁判は消費者契約法に基づいてマンション購入契約を取り消した事例である(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。
国連総会「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」(1991年12月)ではInformed Consentの説明に「医師が推薦する治療の、予想される苦痛・不快・副作用」を含む。まさに消費者契約法の不利益事実の不告知である。
Informed Consentで不利益事実(リスク)を伝えることは、患者の自己決定権の保障のために当然求められることである。紛争防止のためにも重要である。それだけでなく、リスクを伝えることはリスクを明確に認識することで医療者自身がリスクに備えられるようになる。患者安全になる(隈本邦彦「患者安全と患者の権利」)。アリバイ作りのための説明とは根本的に異なる。
患者安全のためにはチーム医療が求められる。マイケル・E. ポーター著、エリザベス・オルムステッドテイスバーグ著、山本雄士訳『医療戦略の本質価値を向上させる競争』(日経BP社、2009年)は「医師の価値を最大化できるのは、フリーエージェントとして行動する個人ではなく、統合型のチームである」と指摘する。
これに対して日本では現場の医師から以下のようなメールが寄せられたと報告された(長尾能雅「群大事故が遺した課題とその後の日本の医療」)。「患者のためを思ったら、アホなカンファレンスなんかで媚びを売らずに、診療と研究に勤しむ方が生産的です。無能な奴ほどカンファレンスでワーワー騒いで形式だけ整えようとします。このためできる医師は出ないのが常だと思いましたが」
テレビドラマ『ブラックペアン』の天才外科医・渡海征司郎(二宮和也)ならば、この意見は正しいだろう。しかし、現実の医師が全て渡海のように失敗しない訳ではない。制度設計は渡海のような人間を前提とする訳にはいかない。さらに症例検討会 (=医療共有会議)への患者・家族の参加も提言されている(神谷惠子「法的観点からの報告書の分析とそこに込められたメッセージ 患者安全に向けた医療の在り方」)。
カンファレンスが無駄な会議に感じられる要因は閉鎖的な場で行われることにもあるだろう。その点でも患者や家族の参加は有意義である(勝村久司「患者安全への提言 群大病院医療事故調査を振り返って」)。シンシナティ小児病院ではカンファレンスに家族も参加している。
公務員組織のような縦割りの弊害も指摘されている。「細分化された外科では「隣の外科」は何をしているかもわからない「サイロ化状態」と言える」(上田裕一「『患者安全への提言』 外科診療の課題」)。この点でも横断的なチーム医療は有意義である。
神谷惠子「法的観点からの報告書の分析とそこに込められたメッセージ 患者安全に向けた医療の在り方」は「医療者にとっての「最善」と、患者にとっての「最善」は、必ずしも一致しない」と指摘する。この議論は日本では医療者にとっての「最善」が治療をして患者を延命すること、患者にとっての「最善」が治療しないこととの前提で議論される傾向がある。このパターンを念頭に置いて議論されることが不幸である。
むしろ一致しない背景は、患者側は最大のサービスを享受したい、医療者側は医療資源を効率的に配分したいという対立だろう。たとえば治療を続けずにベッドの回転率をあげたい病院経営上の「最善」がある。この利害対立は民間ビジネスでは当たり前のことである。誠実な民間ビジネスでは利害対立がある中でCustomer Successを実現しようと努力している。医療者は治療が最善と考えるが、患者は反対という問題設定は「治療しない」という楽な答えが用意されており、難しい問題ではない。
それよりも患者は医療サービスを受けたい、医療者側は資源の効率的な配分を名目に個別の要求に応えたくないという対立の方が深刻である。これはコロナショックで明確化された。患者側は検査を受けたい、病院に入院したい、人工呼吸器を装着したいと希望しているが、保健所の体制や医療資源逼迫を根拠として享受できない状況である。
一般のシンポジウムでは会場からの質問や意見は限られた数しか受け付けられないが、ZoomのWebinarはコメントを共有できる。以下のコメントが寄せられた。「日本の医学界、学会、病院に自浄作用があるのでしょうか。隠蔽体質がある限り、自浄作用は働かないのではないでしょうか?事故調査制度は事故としてというよりも合併症として隠してしまう内輪での事故報告制度システムですね」
これは林田医療裁判で耳の痛い話である。佼成病院は林田医療裁判の終盤で突然カルテに書かれている「誤嚥性肺炎は誤診で実は緑膿菌の院内感染」と病名を変更した。
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