林田医療裁判をめぐる議論では、キーパーソンが消費者感覚と医療実務の間の最も大きな断絶と感じています。林田医療裁判の問題意識は「家族の一人が同意をすれば、高齢者は死なせていいのだろうか」です(渋井哲也「母の治療をめぐり兄弟間で食い違い。高齢者の命の尊厳を守る医療裁判は最高裁へ」BLOGOS 2017年08月23日)。
家族への説明義務を論じた最高裁判決では、医師が家族の一人と話せば説明義務を終わりとしていません。一人の家族を通じて更に接触できた人々から適切な人を選択して説明すべき義務を負わせています(最判平成14年9月24日判時1803号28頁)。
「患者が末期的疾患にり患し余命が限られている旨の診断をした医師が患者本人にはその旨を告知すべきではないと判断した場合には、患者本人やその家族にとってのその診断結果の重大性に照らすと、当該医師は、診療契約に付随する義務として、少なくとも、患者の家族等のうち連絡が容易な者に対しては接触し、同人又は同人を介して更に接触できた家族等に対する告知の適否を検討し、告知が適当であると判断できたときには、その診断結果等を説明すべき義務を負うものといわなければならない。なぜならば、このようにして告知を受けた家族等の側では、医師側の治療方針を理解した上で、物心両面において患者の治療を支え、また、患者の余命がより安らかで充実したものとなるように家族等としてのできる限りの手厚い配慮をすることができることになり、適時の告知によって行われるであろうこのような家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益であるというべきであるからである」
もしキーパーソンの仕組みが、病院側がキーパーソンとしか話をせず、キーパーソンの意見しか聞かなくて良いと正当化するものであるならば、キーパーソンではない関係者は疎外され、不満を抱くことは必然です。キーパーソンの仕組みは最初から紛争リスクを抱えているものとなります。そのようなものであるならば消費者感覚としてはキーパーソンの仕組みを否定することに傾きます。
キーパーソンの仕組みを擁護するならば、キーパーソンの選任手続きや意見集約手続きを全関係者が納得できるものにしていくことが建設的と考えます。ところが、キーパーソン擁護者から、そのような発言を聞いたことが一度もありません。反対にキーパーソンに異論を述べる方に問題があるというような前近代的な村社会的な発想です。この点が消費者感覚と最も大きな断絶になります。
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