実写映画『ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-』(2020年11月13日公開)は安楽死を手口とするクライム・サスペンス。積極的安楽死を行った実在のロシア系アメリカ人医師をモデルとする。日本人には手塚治虫『ブラック・ジャック』のドクター・キリコの方が分かりやすいか。京都ALS患者嘱託殺人事件が起きたばかりであり、タイムリーなテーマである。原作は中山七里『ドクター・デスの遺産』。刑事犬養隼人シリーズの一冊である。
警視庁に一人の少年が通報する。突然自宅にやって来た見知らぬ医師に父親が注射を打たれ、直後に息を引き取ったという。捜査一課の犬養隼人(綾野剛)と高千穂明日香(北川景子)が捜査に乗り出す。不治の病や病気による激しい苦痛を抱える人々に「安らかで苦痛のない死」を提供する「ドクター・デス」を名乗る人物が浮かび上がる。
映画の前宣伝は「警視庁No.1コンビが【安楽死】を手口にする猟奇的な連続殺人犯ドクター・デスの謎に挑む」とある。猟奇的な連続殺人犯との攻防というトーンになっているが、安楽死の是非に踏み込む社会派的要素を持っている。京都ALS患者嘱託殺人事件を連想してしまうため、あえて猟奇的な連続殺人犯であることを強調したのだろうか。
安楽死の是非は倫理学のテーマになるが、実態は「死ぬ権利」を尊重という奇麗な話ではないことが浮かび上がる。安らかな死が美しいという安楽死を進めたい側のエゴが動機である。死を望む側も「家族に負担をかけたくない」が中心的な動機であり、本人の「生きたい」「死にたい」という願望ではない。ドクター・デスは、そこに付け込み、死ぬ方向に誘導する。映画の台詞にあった通り、他人の弱みに付け込む卑怯者である。
「安楽死」という言葉自体がミスリーディングである。毒物の注射が当人にとって安らかなものかは死を経験する本人しか分からない。苦しみは一瞬で終わるとしても、その一瞬が激痛であり、到底安らかとは言えないかもしれない。映画で注射を刺されるシーンはグロテスクである。「安楽死」は死なせる側から見て安楽に過ぎないのではないか。
警察の描写は昭和の古さを感じさせる。犬養はルール無視で違法捜査お構いなしである。不良刑事、悪徳刑事と言ってよい。一見するとアウトロー風であるが、組織が犬養の行動を規制することはない。警察組織のコンプライアンスの機能不全ぶりを露呈している。
一方で犬養は少年の話をしっかり聞いて行動する。これは評価できる点である。もっとも、その優しさは一人娘・沙耶香が難病を抱えている点に負うところが大きいだろう。個人的なエピソードを抱えている人物でなければ人間的なキャラクターにならない。公務員組織の中では人間性は皆無である。これは日本の警察官のリアルだろう。
高千穂はWithコロナ時代には考えられない密な居酒屋で豪快に酒を飲む。オヤジ化している。男社会で女性がキャリアを築くには男顔負けにならなければならないという古さがある。一方で目撃者の話を聞いて犯人の似顔絵を書く似顔絵捜査官は皆、婦警である。ダイバーシティの進む21世紀の民間感覚からすると、古臭いジェンダーを感じる。
映画館では上映前に宣伝が流れされる。これは新作映画の宣伝が定番である。映画が好きで観に来るような観客にとって新作映画の宣伝映像は有益な情報である。宣伝する側と受け手双方のメリットがある。
今回の映画館では地域の葬儀場や不動産業者のCMも流れた。映画館にとっては配給会社に依存せず、高校収入を増やす工夫になる。広告出稿者にとって映画館の迫力あるスクリーンは広告効果が高いだろう。一方で消費者側にはどうだろうか。非日常の体験を求めて映画館を訪れる。地域の葬儀場や不動産業者が流れることはカスタマーエクスペリエンスにはイマイチになる。
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