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執筆者の写真林田医療裁判

奪われた「いのちを見つめて」

更新日:2021年12月24日

医療過誤原告の会は30周年シンポジウム「奪われた「いのちを見つめて」~被害者を家族が語る~」を2021年12月19日(日)に全労連会館ホールとZoomで開催した。医療事故原告の会は1991年10月に設立された。医療過誤原告の会会報第40号『悲しみにくじけないで』(2018年7月1日)には林田医療裁判(立正佼成会附属佼成病院裁判)原告の手記「母の望まぬ死」が掲載されている。

The Association of Medical Malpractice Plaintiffs will hold a 30th anniversary symposium.


シンポジウムでは医療過誤被害者遺族が亡くなられた方の思い出を語った。被害者や遺族の心の傷は病院側が事実に向き合い、事実を明らかにする中で少しずつ癒されるものである。遺族の方々からお話を伺うことは大きな意義がある。医師は患者の命を救うべき存在であり、患者のために最善をつくすべき存在であることは基本的な理念である。未だに医療事故を隠蔽する病院がある。


『ドクターX~外科医・大門未知子~』というドラマがある。「私失敗しないから」が口癖であるが、失敗しない医師はいない。失敗があることを前提に制度を構築する必要がある。


医療過誤原告の会は30周年記念誌『たったひとつの命にこだわって 医療過誤原告の会三〇年のあゆみ』(2021年)を刊行した。「たったひとつの命にこだわって」というタイトルが秀逸である。医療機関や行政は被害者を数でしか考えない傾向がある。その種の傾向は残念なことに市民運動にも見られることがある。

「医療事故の原告は、薬害のような集団訴訟ではなく、それぞれが孤独であり、かつ、インターネット上からの攻撃は、まるで集団にリンチを受けているかのような様相も呈していた」(勝村久司「「医療過誤原告の会」設立三〇周年を迎えて」6頁)


患者の自己決定権が医療機関のアリバイ作りに使われている。Informed Consent; ICという外来語は日本の医療になかったもので、この言葉が普及することは画期的なことであったが、日本では本来の意味から逸脱した使われ方をされる傾向がある。十分な情報を与えられた上での同意、充分な情報提供を受けた上での合意となっていない。

「「インフォームド・コンセント」という言葉も広がりを見せていますが、残念ながら手術等の前に同意書にサインをもらう手続きと誤解している方もおられる」(加藤良夫「原告の会30周年に寄せて」9頁)

「I・Cは日本医師会では医師を主語に「説明と同意」と訳されていますが、私が最適と思う訳は「情報と決断と方策の共有」(木村利人)です」(鈴木利廣「日本における医療事故と患者の権利の歴史」11頁以下)


医療過誤原告の会30周年記念シンポジウムがヨミドクターに掲載された。「被害者一人ひとりに、それまで歩んできた人生や家族がある。家族が語った思いが、医療側が事故に真剣に向き合う姿勢へとつながることを、強く願う」(田村良彦「七五三の3か月後に亡くなった娘 不誠実な医療側の対応で二重の苦しみ 「一緒に死にたい」とさえ思った 医療過誤原告の会が30周年記念シンポジウム」ヨミドクター2021年12月22日)




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